“サタンに打ち勝つ力”と”経済の祝福”を与えて下さった証

「今月も昨月くらいのお金しか入れられない稼ぎだったら、もうサラリーマンに戻ってもらう約束ね!」

難関国家資格を3年かけて何とか取得。その後独立し1年半が経った今、妻から浴びせられた言葉に

プレッシャーが襲い掛かります。

しかし私は、不安や心配に襲われそうになるたびに、神様に祈り求めることで実はそれほど大きな

プレッシャーを感じずに過ごせていたりします。

とはいえ、今月の収入見込みは今のところ10万円だけ。これでは昨月の半分以下で致命的すぎる状況なのは間違いありません。

「さすがに肉的にボロボロすぎるなぁ…今会社の預金残高は数万円しかないし、今月の支払いは20万円を超えそうな勢いだから何とかせねば…!」

未だに稼ぎがサラリーマンの妻よりも少なく、肩身の狭い想いで過ごす中、

2021年5月下旬ごろの御言葉を聞かせて頂き実践したところ、早々にこの状態を助けて下さる奇跡を起こしてくださいました。

「まだ幼いうちは、お金のことは心配するな。勉強に励みなさいと親は言うが、成長した子供には、自分の力で経済的に自立しなさいと言うのではないか」

「だから、ある程度成長したあなたたちは経済的な恵みを求めなさい」といった御言葉が胸に刺さりました。同時に、こんなタイムリーな御言葉を与えて下さる神様にどこまでも深く感謝しております。

「経済的な恵みを神様に祈り求めていいんだ!やったぁ!」

私はその御言葉を聞いたとき思わず飛び上がったのを覚えています。

また、神様は神様に祈り求めることで義人に与えた経済的な祝福を神様の御心に叶う形で使えるように導いて下さいます。

なので、お金を祈り求めることは、「倫理的に大丈夫なのかと心配しなくていい」とおっしゃられています。

ただ前提として、義人が自分の欲望を満たすためだけに “経済的な恵み” を求めるのであれば、それを神様は叶えて下さることはありません。

私の場合どうなのかというと、当然自分の欲望を満たしたくて経済を欲したわけではありません。

自分の思いとしては、サラリーマンに逆戻りしてしまえば神様の御心を成すことが難しいので、それだけは何とか必死に回避したいという一心でお祈りしているのです。

「こんなところで負けてたまるか」という気持ちは当然あります。とはいえ決して自分の力だけに頼らず、神様に祈り求めながら頑張ることが大切です。

一方で神様の心情としては、本人が肉的・霊的に何の努力もなしに経済的な恵みを与えてしまっては、人間が成長しないので困るのです。

本人の実力・能力を伸ばし、さらに霊的な成長もできるようにと、絶妙な塩梅で練達しながら経済的な祝福を与えたいのです。

人間はそれをわかって神様に祈り求めながら自分のやれることを全力でやりきる知恵と気力が必要なのです。

早速、私は神様に「経済的に非常にピンチなので助けて下さい」と強烈に祈り求めました。

そして営業するための心得を必死に勉強した翌日に、2つの商談が決まり、あっという間にまとまったお金を受注することができたのです。

しかもこの2つは商談というより、もともと知っている仲間と会うだけの予定で、普通に考えるとマネタイズができる相手ではないのです。

でも、こうすれば彼らの求めているニーズを満たせるアドバイスができるという考えが思いつき、

普段接している彼らに私の提供できるスキルの価値を最大限伝えることに成功し見事、お金を払うので手伝ってほしいという

展開にもっていくことができたのです。

「ああ、なんて神様は偉大な方なのか。」神様なら当然これくらい簡単にできるという思いと、助けて下さった感謝で胸がいっぱいになりました。

その次の日の明け方では、こんな感覚を得る機会を頂けました。

ーーー

最近、”イエス様が受けた苦しみに耐えるほどの気力” で神様の為に生きられるようにすることが大切なんじゃないかという考えが頭をよぎるのです。

実際にイエス様が十字架にかけられたときの苦しみはどれほどのものだったのかを調べていると、とてつもない苦しみだったことがわかりました。

十字架にかけられると、一般的には48時間は死ぬことができないそうです。しかし、イエス様の場合は例外的に6時間で済んだとの記事がでてきました。

とはいえ、6時間も両腕・両足を釘で刺され、自重がかかり磔にされている苦しみは想像を絶します。

十字架に磔られると、息をするためには毎度じゃっかん身体を少し上げなければいけないそうですが、最後らへんは出血多量と疲労で、身体を上にあげることができなくなるそうです。

すると呼吸ができず窒息死するとのことでした。

この苦しみは、神様自身が感じられている苦しみの一部でもあると考えると、それを少しでも理解するためにもイエス様に課せられた使命だったとも言えます。

しかし、こんな苦しみも含めて神様の心情を理解できる霊魂に私もいつかなりたい!どうすればその覚悟が持てるのだろうか…?

明け方にそのことについて考えていると、それは実はイメージが違うんじゃないかという考えが沸いてきたのです。

イエス様もRaptさんもただ絶望的な苦しみだけに耐え抜いたわけではないということです。

例えとても苦しいことがあったとしても、霊的な恵みでは常に満たされていたはずです。

となると、正しいイメージは、圧倒的な恵みがあり、それを得られるがために、苦しみを耐え忍ぶイメージが正しいんじゃないかということです。

最近は仕事が忙しく、霊的な時間が最低限しか確保できていないことに課題を感じていました。

そして、聖霊にほんのうっすら満たされているかなぁくらいの状態で過ごすことが多くなってしまっていることに危機感も感じていました。

そんなときに「神様からのどこまでも熱い愛をわかっているのか」といった御言葉を聞く機会がありました。

すると。もしかしたら神様からの強烈な愛を自分はちゃんと認識しきれていないにちがいない、と気が付いたのです。

光は決して闇に飲み込まれることはありません。でも闇があまりにも多いところにいると遥かかなたの光は見えなくなってしまいます。

自分は今、大いなる闇の中で生きている感覚で、神様のどこまでも大きな光があることをわかっていないまま生きているのではという考えが沸いてきました。

闇が当たり前になってはいけない。圧倒的に光が強いのだから、光が闇に勝つのは当然という思いで、今の状況を見てみよう。そう考えたとき、自分の

頭の中のどんよりとした、何か神様の愛が存在していることがうっすらしか認識できないように覆い隠されていたベールが、取り払われた感覚になったのです。

その瞬間…。心の中が一気にどこまでも暖かくなり、安心感に満たされ、うっすら沸いていた不安や心配がどこかへ吹き飛んでいったのです。

“常に神様からの強烈な愛はそこにある” そのことをわかって、認識できる自分で常にいるのが正常な状態だと悟りました。

なので、こんな素晴らしいことに気づかせて下さった神様にはどこまでも深く感謝しています。

どうか、早く12弟子が立てられ、そのためにも紛れ込んだ工作員が徹底的にあぶり出され、暗黒の歴史に終止符が打たれますよう心からお祈りいたします。

また、女の基準者も立てられ、千年王国が雄大に壮大に成されますよう、心からお祈りいたします。

アーメン。

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