【1000年後には常識となっている人生の本質】

突然ですが告白します。
私は、この世の多くの人々と話しているとあまりに不思議だと感じることがあるのです。
それは、なぜ人生の本質をどこまでも追及しないのかということです。
目先のお金に走る人。
お金だけでなく豊かな人間関係もしっかり築ければ、人生は幸福だと信じて疑わない人。
世の中のものに執着しなくなれば、あるがままを受けれればいつか悟りの世界に入り、それが幸せだと信じる人
いろんな人の話を聞いてきましたが、どれもしっくりきませんでした。
そして目の前にある事実として、私は人生をどう生きればいいのかわからず苦しいということ。
お金を稼いで欲しいものを買っても、嬉しさはつかの間、その後は虚しいだけなのです。
仲の良い人と会って話してお互いの理解を深めるようなことをしてみても、離れてしまえばそれまでだし、付き合い続けられるかどうかも定かではありません。
恋人ができれば幸せだと思ったので恋人を作り、結婚をし、子供にも恵まれました。
しかし、そこの本当の幸せがあるとは思えませんでした。
結局この世のものから何かを得ようとしても得られるものは一瞬の幸せではないでしょうか?
お金を稼いでもいつかなくなる心配は尽きませんか?
もっと言えば、どれだけ裕福な状態を得られたとしても、死んでしまえば、もう終わりではありませんか?
死んだ後の幸福まで保証される生き方はないものか。
そもそも今目の前を常にいつまでも充実感を持って生きることはできないのか?とまではさすがに考えたことはありませんでしたが、
実は、人間の人生は、私が想像していた以上に奥が深いものだと気が付いてしまったのです。
いや、気づかせてもらえて死ぬほど嬉しいと思っています。実は。
よく聞いて下さい。今から大事な話をします。
あなたは、人生で、常識が塗り替わった経験はありますか?
実は誰でも経験していることだと思うのです。
自転車に乗れなかったときから自転車に乗れたとき、自分はできる!世界が変わった!そう思ったことでしょう。
幼い時の記憶なので覚えていないかもしれませんが、きっと感動したことでしょう。
逆になぜ今までできなかったのだろうとすら思ったかもしれません。
他には、例えば、あなたが今大好きな食べ物をお店かどこかで初めて食べたとき、感動しませんでしたか?
これまでの常識が覆ったのではないですか?
そうです。常識が覆る瞬間は、いつでも新たな出会い・発見からいつもはじまるのです。
そして、その出会いが必ずしも、これはよいものだとはじめからわかっているものばかりではないということも思い出してください。
乗り気じゃないけど知人や家族に連れられて行ったところがとてもすてきだったということもあるはずです。
そういった人生の様々な意図しない出会いであなたの人生は変わってきたことでしょう。
私も35歳になりますが、3年前、人生に私が今まで想像していた選択肢以外の、100万倍以上すごい選択肢があるということを知ってしまったのです。
なぜ世の人々がこのことにこれまで気が付かなかったのか。教えてくれなかったのかということが不思議で仕方がないことなのですが。
それは何かというと、信じられないかもしれませんが、あなたの願いは全て叶うという事実です。
そして、あなたの人生は、あなた自身が頑張らなくてもすべてが運命に導かれ、偶然と呼ばれるできことはなにひとつ存在しなかったということです。
全ては必然で、偉大なる導きの元起きていることなのです。
ここまでくるとうさん臭いかもしれません。宗教にでも誘おうとしているのではと思われたかもしれません。
しかし、はっきりと言いましょう。私は、とてつもなく素晴らしく偉大な存在に接する体験を3年前にすることができ、人生が本当に180度変わった、人類史上でも稀な貴重な存在となったのです。
私だけが特別だなんて言いたいわけではありません。しかし、この体験ができたことや、人生観が世の人とはもはや全く違うということを考えると特別な存在になったといっても過言ではありません。
人間は自分が経験したことの範疇でしか物事をイメージすることができないのです。
自分自身の経験から言ってもまったくそうです。
もしあなたがお金持ちでなければ、お金持ちの人の人生観はイメージすることが困難だと思います。
話がまったく合わないと思いませんか?
それと一緒で、私はこの世の人々が本来は知るべきだけれども、しかし、あまりに洗脳が深くて、もはや真理が目の前に差し出されてもそれが真理と気づくことができなくなってしまっている人が大半だということもこの3年間を通じてよくわかりました。
私が話をしたいテーマは「宗教」です。
落合洋一に誰かが次の時代に重要なテーマは何かと聞いたところ「宗教」だと回答されていました。
特に日本人は「宗教」についてあまりにも無知で、悪いイメージを持つ場合が多いです。
しかし、これからの世の中を生き抜くためには宗教と向かい合わずにいることはできないのです。
そして、この宗教についても真理と非真理(嘘)が大いに混ぜこぜになっているからこそ、たとえそれに触れたとしても、人生が虚しいままとなっている人が大半だったりするのです。
私がこのように話す話があまりにも突拍子もないと思って、それ以上話を聞こうという気になれないかもしれません。
しかし、私もバカではありません。妄想で話をしようとは思っていません。
一応私は中小企業診断士という獣医と同じ偏差値の難易度の国家試験を勉強で突破して取得しているくらいの知能は持ち合わせているのです。
私もうかつに適当なことを発言するつもりはありません。すべては私の経験として話をしているのです。
その経験がなければわたしはこうして文章を書こうとする気力すら沸きません。
ただ知ってしまったがゆえに、多くの人々に語り継ぎたいのです。人生は実はこんな奥深いんだ、みんなが思っているようなものが人生ではなかったということに。
私が経験したこと。それは、神と繋がるという経験です。これはもうなんとなくそんな気がした。というレベルのものではありません。
目の前に美味しいハンバーガーがあってそれを食べて、肉感がすごいな、ソースも色々ブレンドしていて美味しい!と感じるくらいにはっきりと鮮明に感じたというレベルの体験なのです。
はっきりと言いましょう。この世界に神様はいます。存在します。ワンピースは存在する!とゴールドロジャーが死に際に言い放ちましたが、そんな気分はこれだと思うのです。
そして、神様はとてつもなく人類を深く愛しておられるということもはっきりと知覚できるのです。神様からの愛に少しでも触れるとどうなるので、この世のどれだけ自分がタイプの異性との触れあいがあったとしてもそんなものはごみくずと化してしまうほどの圧倒的な幸福感に満たされるのです。これはこの世の何物にも代えがたいということがはっきりと脳に刻まれるので、正直この世のものでこの幸福感に例えられるものが存在しません。なので言語化が激しく困難です。人間は自分が経験したことのないものをイメージできないからです。こんな圧倒的な幸福感に満たされるものが手に入れられるなら、どんなものを差し出すのも惜しくない。そ
