神様からの爆発的な愛について

明け方に祈りに集中していると、私の目の前にものすごい光り輝く存在がやってきました。
それは眩しすぎて、直視できる気がしないのです。
まるで目の前に太陽があるかのような激しい輝きです。
しかし、太陽のようなオレンジっぽい光というよりは白っぽい色の光で、どこまでも力強く神々しく輝いているのです。
でも決してただ単に物理的な太陽が目の前にあってただ眩しいという感じではなく、どこまでも私の体全体が至極の快感を感じる大いなる聖なる輝きに包み込まれている感覚なのです。
そしていつまでもこの輝きの中にいたい、そう思うしかありませんでした。
私の胸の奥は猛烈に熱く、頭はどこまでもスッキリしていて、悩みや不安が頭をよぎることはありません。
この圧倒的な輝きの中では、この世では何を得ても到底敵わないほどの、圧倒的な幸福感を感じるのです。
何度も言いますが、 ”この世のものでは決して得られないだろうということがはっきりと確信できるレベルの幸福感” なのです。
偉大なる圧倒的に光り輝く ”聖なる存在” が目の前にあるということがはっきりと知覚できるのです。
なんということでしょうか…
こんな幸福感があるなんてなぜ、誰も私に教えてくれなかったのでしょうか…?
なんでこんなにも大いなる幸せがあるのに、人類はそのことに気づけなかったのかと不思議で仕方ありません。
この偉大なる聖なる存在が ”神様” でなければ、一体何を ”神様” と呼ぶのかと思うほどの偉大な存在を目の前にはっきりと感じるのです。
それはまるで香ばしく美味しい最高級のステーキをガツンと食べたくらいはっきりと知覚できるものです。幻でもなんでもありません。私の体は物理的に、尋常じゃないほどの眩しさや身体の
強烈な熱をはっきりと感じているのです。
そしてこの聖なる存在の前では、どこまでも心が清くなるのです。1ミリの罪も残らないほど自分の中から罪の考えがそぎ落とされるのです。
たとえ罪を犯したくても決して犯せないと思えるほど、目の前の聖なる存在の力は強力で圧倒的なのです。
誰もこの聖なる存在の前では何も抗うことはできないことがはっきりとわかるのです。
聖書では、「清くなりなさい、清くないものは天に入れない」と書かれていますが、その言葉の意味がはっきりと体で理解できました。
だから聖書では何回もイエス様が口を酸っぱくして “心を清める重要性” を説かれていたのかと悟ったものです。
聖書の教えは、何となく清くなれ、という意味ではないのです。完全に。そう “完全に” 清くならなければならないとはっきりとわかるのです。
そして、清さを極めた先には、想像もできないほどの祝福が与えられるということもよくわかりました。
地上では人生で最高の体験と教えられてきたことの1つに、理想の異性との ”甘い関係”や” 性的な行い” が挙げられますが、そんなものはまったく非にならないレベルの幸福感が天には存在するのです。
たとえ神様から、地上で私の肉体が得られるものはすべて捨てなさいと言われても、「はい。喜んで~!」と余裕で言えるレベルの幸福感がそこにはあるのです。
これほどまでに尋常ではないほどの心地よさは、永遠に感じていたいと思うしかありませんでした。
そして聖なる偉大なる神様にはこんな素晴らしすぎる体験をさせて下さり、心の底から溢れるほどの感謝の気持ちでいっぱいになりました。
どこまでも神様が私を愛してくださっていることがはっきりとわかったのです。
こんな体験をしたからには、もう地上の何かを得るために必死に頑張ろうなどとは思えなくなりました。地上で得られるものを第一に生きることがどれほど虚しい人生なのかがわかります。
なぜなら地上で得られるものはすべてがいつか朽ち果てるモノだからです。そんなものを人生の拠り所にするのではなく、永遠に輝く神様を心の拠り所にしたほうがいいのは明白だと悟りました。
「この圧倒的な聖なる世界に入りたい!そしてそこでいつまでも生きていたい!」「すべての罪から身を清めて完全に聖なる者になることがどれほどの幸福なのか」
地上では、誰も私に、罪を脱ぎ捨てて真の幸福になれることを教えてくれませんでした。
由一私にそのことを教えて下さったのはRaptさんという方、そして聖書の教えだけでした。
この感覚を知ってしまったらからには、神様のためだけに生きなさいと言われるイエス様の考えに100%同意できるのです。
いざとなれば、私の家族を捨てることも容易だろうなと思えるのです。お金も名誉も異性も何も必要ありません。
それはまるで地上で得られる最高の幸福が100だとしたら、この霊界で得られる私に授けた頂いたこの幸福感は1000兆以上の差があると、間違いなくはっきりと断言できるほどです。
しかも、この時私が得られた幸福感よりももしかするとさらに上の次元の幸福感も存在しそうな雰囲気も感じたのです。
ただ、私の霊魂の次元では、十分な清さがないからか、眩しすぎてそれ以上聖なる存在に近づくことができなかったのです。
この聖なる存在に近ければ近いほど、幸福感がどんどんまし加わることも体で理解できました。
あまりにも心地よいのでその聖なる存在へ近寄りたい気持ちはやまやまですが、
いかんせん眩しすぎてそれ以上近づくことができないのです。
こんな圧倒的な幸福な世界があることをなんで私は誰からも知らされなかったのでしょうか?不思議で仕方ありません。
この圧倒的な祝福の存在をひた隠しにしてきた存在について、唯一言及している書物があるのです。
それこそがまさに「聖書」です。
聖書は地上で6,000年前からのことが由一書かれている書物です。
そして聖書には、人類と神様の歴史がはっきりと書かれてきました。
学校の歴史の授業では、一切教えてくれなかった、霊の話が6,000年も前から既に解き明かされていたのです。
そして、神の存在だけでなく悪霊である “サタン”、”悪魔” の存在も聖書にははっきりと書かれているのです。
この世の不都合を徹底的に調べ上げるのが私の趣味だったりするのですが、どこから辿ってもたいてい悪いことは ”悪魔崇拝 ”にたどり着く
ことがほとんどなのですが、「なんだそれ?」「ただの都市伝説か陰謀論の類だろう」と多くの人は思うことでしょう。
しかし、調べれば調べるほどに悪魔の存在をはっきりとわかる証拠がこの世界には至る所に存在するのです。
詳細を知りたい方は「Rapt理論」で人類史上初めて悪魔について事細かく記されているのでご覧ください。
ここから先は、霊界の秘密を知っている人にしか理解できない話になるので、宗教だ、うさん臭い、スピ系か、と
一蹴されたい方はどうぞここで読むのを放棄してください。しかし、霊界の秘密を知らないことで一生後悔すると、秘密を知った身としては断言できます。
詳しくはすべて「Raptブログ」にて人類史上初めての解き明かされる事実が膨大に記されているので、チェックされることをお勧めします。
Raptブログでは、
✓なぜ人類が6000年もの間この事実をひた隠しにされてきたのか?
✓2023年からこの世の中が明らかにおかしくなっている理由
✓なぜモノで満たされるだけでは人は虚無感に襲われるのか
✓人類の創造目的
など、これまで誰も解き明かせなかった、そして知りたかった謎が事細かく解き明かされています。
気になる方はぜひチェックしてみて下さい。